地元の人々は親しみを込めて
権現さんと呼んでいます
東照宮は江戸幕府を開いた徳川家康公「東照大権現」を主神として祀る神社です。水戸の東照宮は、家康公の十一男で水戸藩初代藩主の徳川頼房公によって元和7年に創建されました。昔から水戸の町人は親しみを込めて「権現さん」と呼んで信仰しています。
東照宮は江戸幕府を開いた徳川家康公「東照大権現」を主神として祀る神社です。水戸の東照宮は、家康公の十一男で水戸藩初代藩主の徳川頼房公によって元和7年に創建されました。昔から水戸の町人は親しみを込めて「権現さん」と呼んで信仰しています。
水戸駅近くの小さな丘の上に東照宮はあります。天保時代の地図を見ると、水戸城の内堀と外堀にはさまれた三の丸の南側に東照宮があり、天然の掘となっていた千波湖が眼下まで広がっていた様子がうかがえます。明治以降にこの一帯は水戸の中心市街地として開発が進み様変わりします。街の変貌を権現さんはずっとここから見守っています。
家康公が在京の本拠地としていた伏見城で頼房公は生誕しました。そのとき家康公の年齢はすでに六〇歳をすぎていたといいます。頼房公はわずか七歳で水戸城二十五万石の領主となりましたが、幼少から元服するまでは駿府の家康公のもとで育てられたといいます。頼房公にとって父であり、偉大な天下人家康公とは、どんな存在だったのでしょう。
水戸藩二代藩主徳川光圀公は、太鼓による時報に代わるものとして銅鐘の鋳造を命じました。それがこの常葉山時鐘(ときわやまじしょう)です。城内二の丸柵町門から城下に時を知らせた鐘が今もここに残っています。常葉山とは光圀公によって命名された東照宮があるこの地一帯の呼び名です。
度重なる異国船の接近により脅威がましていた江戸後期、他藩に先がけ軍備増強策を進めていたのが水戸藩九代藩主徳川斉昭公です。藩内で大規模な軍事演習を行い、自ら武器の設計もしていたそうです。その一つが日本最古の鉄製戦車といわれる「安神車(あんじんしゃ)」です。
●住 所 水戸市宮町2-5-13
●電話番号 029-221-3784
●料 金 無料
●水戸東照宮ホームページ
-御神徳-(ご利益) 家康公は世の中が安らかなることを求め、その実現に努めたことから「家内安全」、東海道を整備し国をまとめたことから「交通安全」、「商売繁盛」の祈願祭もあります。 社殿祈祷・出張祭典についてはお電話にてお問い合わせください。
祝 令和3年4月17日
水戸東照宮 御鎮座四百年