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ハチ

History

宮銀物語

東照宮の丘裾だから「御宮下」

天保年間の古地図では、すでに東照宮東側の通りが「御宮下」と名付けられています。これは現在の宮下銀座商店街ではなく、もっと東側の通りのことではないかと思われます。
この近辺は松が生い茂る「霊松山」という景勝地で、東照宮が創建されてから丘裾に徐々に町家が広がったといわれています。
東照宮は国宝にもなっていた社殿を戦災で失い、昭和37年に再建を果たします。復興にあたり境内であった丘裾を拓き、その一部に宮下銀座商店街が整備されます。

画像は古地図を参考に描いたイメージです。

水戸の祭りといえば
東照宮の例大祭だった!

江戸時代の頃、水戸の祭りといえば東照宮の例大祭のことを指すほど、盛大なお祭りが行われていたそうです。諸国祭礼番付によると、東方の横綱は江戸三大祭に数えられる山王祭と神田祭、次いで三番目に「常陸 水戸御祭」とあり、大関級の規模であったことがうかがえます。大正時代に行われた300年祭では長蛇の武者行列が練り歩き、その様子が絵巻物となって残っています。行列の中には現在境内に展示されている安神車も列に加わっています。

いつでも夢を~♪
宮下銀座商店街の誕生

東照宮の社殿が再建された昭和37年当時の宮下銀座商店街の写真があります。アーケードはまだ無くよしずのようなひさしが掛かっています。青果店、レストラン、電器店、さまざまな店が立ち並び、市場のような雰囲気で、夕刻には黒山の人だかりで通りが埋め尽くされていたといいます。水戸駅から歩いて宮下銀座をめぐり国鉄ストアをまわれば、揃わないものは無いといわれるほど品揃えも豊富だったようです。昭和37年は、橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」が大ヒットした年でした。

まるでアミューズメントパーク
総合結婚式場「新水戸会館」

現在駐車場となっている東照宮の南に、「新水戸会館」という大きなビルがありました。昭和40年に建設された総合結婚式場で、東照宮で神前式を挙げたあと地下道を通り会館の披露宴会場に直接行けるようになっていました。当時「東照宮と豪華新設参道で結ぶ」と紹介されています。
屋上には回転展望レストラン「新水戸スカイラウンジ」、4階から6階は東京テアトルのボウリング場、スチームセンター大衆ローマ風呂、地下にはキャバレー「メトロ」、洋画劇場「オデオン座」と、結婚式場というより一大アミューズメントパークのような施設がありました。

  平成33年4月17日 水戸東照宮
御鎮座四百年まで