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- 宮下銀座とその周辺 -

宮下銀座商店街は、水戸駅北口から国道50号線を通り徒歩5分位のところにあります。水戸駅の北側の台地にはかつて水戸城がありました。周辺は東照宮をはじめ水戸徳川家とゆかりの深い史跡や寺社が点在しています。ぶらりと水戸の歴史小路の散策をお楽しみください。

■電車の場合 JR水戸駅北口から徒歩5分
■お車の場合 常磐自動車道水戸ICから約30分

近世日本の教育遺産
日本最大規模の藩校「弘道館」

弘道館は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により開設された日本最大の藩校で、現在の総合大学規模の藩が運営する教育施設です。当時の敷地の広さは約10.5ha、正庁(学校御殿)の他に文館、武館、医学館、天文台、馬場、矢場、砲術場などもありました。正庁、至善堂、正門の3か所は、国指定重要文化財となっています。
また、偕楽園とともに梅の名所としても有名です。

自然の地形を最大限に活かした
水戸城の形跡を垣間見る

水戸の街中で水戸城の外堀跡を見ることができます。水戸城は自然の台地を利用し、北には那珂川、南には千波湖を天然の掘りとし、さらに台地には幾重もの堀をめぐらせていました。土造りの城としては日本最大級の規模です。堀の周辺は春になると桜が満開になり市民の憩いの場となっています。

大日本史編纂の地
旧彰考館跡、二の丸展示館

二の丸展示館は、白壁がつづく水戸城跡通りにあります。ここは徳川光圀公がはじめた大事業「大日本史」を編纂した「旧彰考館跡」があった場所です。二の丸展示館では城跡からの出土品や水戸城に関する資料が公開されています。ここから通りを本丸方面へ進むと、那珂川を望む二中見晴台、杉山門、薬医門へとつづきます。

水戸城の建造物で
唯一現存する「薬医門」

水戸城の薬医門は、安土桃山時代末期に佐竹氏が建てたものと考えられています。水戸市内で所在を変えて移築されていましたが、昭和56年に水戸城本丸跡にある水戸第一高等学校の敷地内に復元されました。薬医門は公家や武家の屋敷の正門として用いられた門様式の呼称で、医家の門としても用いられたことでその名があります。水戸城の薬医門は、武家の門にふさわしい威厳あるたたずまいが魅力です。

水戸黄門・徳川光圀公の
生誕を祀る義公祠堂

ここには水戸藩の家臣三木仁兵衛之次の屋敷がありました。光圀公はこの地で生まれ、身を隠し三木夫妻の子として育てられました。父頼房公のあとつぎに決まり、やがて江戸小石川の水戸藩邸に移り住みます。屋敷はかなり広く、現在の水戸駅構内まで含まれていたそうです。のちに三木氏は北三の丸に移り、ここは藩主の別邸「中御殿」となりました。

大手門復元プロジェクト

大手門は、弘道館の方角から見て、大手橋を渡ったところにありました。二の丸と三の丸をつなぐ水戸城の正門であり、シンボルでした。土塁に取り付く大手門としては、全国的にも最大級の大きさを誇りました。

写真提供:水戸市立博物館
宮銀マップ

  祝 令和3年4月17日
水戸東照宮 御鎮座四百年